佐々木倫子,『動物のお医者さん』,白泉社

 

 

H大学獣医学部をモデルとし、西根公輝(ハムテル)と二階堂昭夫(獣医なのにネズミが嫌い)の2人を中心としたコメディ。その他の登場人物もアフリカ趣味で奇人と言っていい漆原教授やそれと同期で馬が趣味という貴族的な雰囲気を持つ菅原教授、これまた変人でオーバードクターを経て就職する菱沼さんなど個性豊か。

今年31になった僕の医学部、特に教授のイメージは『医龍』、『ブラックジャックによろしく』、『白い巨塔』(古いけど…)により相当歪曲されており日々権力闘争に明け暮れ患者のことなど二の次三の次!という印象になっているのだけど、それと引き換え本作品で描かれる獣医学部のイメージは非常に牧歌的と言える。授業・試験の様子、進振、就活や運動会、犬ぞりレースと言った日常がちゃんと1年ずつ高校3年から修士卒までしっかりと年を重ねていくハムテル、二階堂と共に描かれている。

吉野朔実に似た劇画調(特にリアリスティックな顔描写)の絵に対して漫符及び擬音が相応に使われているアンバランスさが他のマンガにはない特徴を感じさせる。ちょっと太めの明朝体のレタリングが古めかしいイメージを与え、2014年の今から読めば古典的な印象を与えているのだろう。

さて、本作はコメディの連作として非常に面白いし読んでいて心地よさがある。硬質な絵柄は好き嫌いもあるかもしれないけど…。その心地よさについては文庫版4巻のマンガ原作者・竹熊健太郎による解説「H大学というユートピア」が最もよく説明してくれている。竹熊は「人間関係の希薄さ」が「わずらわしい人間関係が存在しない」ことにつながっており各人の対等な関係が成立する「個人主義」を描いたドラマなのだと言う。

医学部のヒエラルキーを上述の各作品から叩きこまれている僕たちの前では、漆原教授とハムテルを始めとする学生たちの関係は驚きに値する。そしてどちらが現実的かといえばおそらくそれは『動物のお医者さん』ではない。そのようなヒエラルキーや恋愛関係等面倒くさいことを捨象した彼らの学生生活は「面倒くさくない関係の面倒くさい人たちによる面倒くさい、けど楽しい」ことで溢れている。二階堂とハムテルについては少し依存が発生しているようにも思うけど、そこもうまく流されていながらそれでも僅かにそこを感じさせるところが良いのかもしれない(修士についてったり、一緒に開業したいと思ってたり実は結構重い)。

『ガキの使いやあらへんで』の「ききシリーズ」

 田中の説明口調やドヤ顔は「ドライブしながら豆知識」ではその豊富な動物トリビアと相まって違和感なく発揮されているが、「ききシリーズ」においては方正と並び正解数下位であることから説明口調が浮き上がり田中のウザい部分が際立っている。一方で方正(正解数2回)、田中(正解数3回)に続く遠藤(正解数4回)は「あっ、全然ちゃうわ笑」(ききレモンティーの1発目等)に代表されるストレートさがキャラのバカさと結びついて好感を持って見ることができる。特にききレモンティーにおいては父親との淡い思い出を語りつつ「あ、しかもこれ親父作ったんちゃうわ」という天然ぶりも見せつけている。ココリコが支えあっている、ということの意味をききレモンティーを見返している時にふと再認識させられた。

 起源であるきき缶コーヒーでは遠藤は真剣な表情で、多少の解説も入れつつ、最後は山場もなく外していた。直近であるきき食べるラー油を見るとき、確かな遠藤の成長を非常にわかりやすく受け入れることが可能だ。方正にしても同様でその後のテンションとは異なった印象を受ける。浜田は初回から間の持たせ方、妙に後味を強調する点、しっかりとコメント付きで外すオチなどさすがの姿勢。田中は異常なスピードで解答していくが、その表情やスピードから伺えるドヤ感は後に通ずるところがある。松本は駆け引きを中心とする姿勢、外部要因への着目がやはり後に繋がる。ダウンタウンは流石にこの時点でキャラを確立していると言えるが、田中もまた早熟(賛否は別として)であったことを僕たちは知らされる。

(ききレモンティーを見てきき缶コーヒーから歴史をたどり始めたメモ)